BSEにはなぜこんなに敏感なんだろう

米国産牛肉、再び禁輸に 成田の検疫で危険部位発見

 牛海綿状脳症(BSE)対策で除去が義務づけられている牛の脊柱(せきちゅう)(背骨)が20日、成田空港で検疫手続き中の米国産牛肉から見つかり、政府は即日、再び米国産の禁輸措置(輸入停止)に踏み切った。

暗くなった夜7:30に学校を出たときに、このニュースを思い出して、帰りにスーパーに寄って、景気良く牛肉を買って焼いて食べようかと思ったのですが、やめました。「今回問題となった特定部位を一生、毎日、食べ続けて、病気になる確率」と、「今日一日だけ、暗くなった夕方に学校から家まで15分歩いて帰る間に交通事故に会って死ぬ確率」のどっちが高いのかなと考えていたら、お店によるものを忘れてしまったので。今日はそんなお話。

アメリカに在住している僕達は、普通に日本では食べることのできない牛肉に囲まれている生活を送っているので、この日本の騒ぎようはちょっと尋常じゃないなと思うわけで。

科学的な話をすると、相当な運の持ち主でなければ、特定部位を毎日食べ続けても、クロイツフェルトヤコブ病(CJD)にはなれないでしょう。ガンにもならず、心臓も元気で、脳内血管も順調で、交通事故はすべてよけ、ストレスで自殺することもなく、人に殺されることもなく、とにかく健康そのものの人が、さらに3億円を3回当てるくらいの運を持ってないといけないのです(概算結果なので、ちょっと違うかもしれませんが)。

まぁそれ程度の安全率(リスク)で戦いをしているのですが、それにかかる膨大なコストを考えると、あまりに不毛な議論のような気がして仕方ありません。もちろん、「将来どうなるか分からないから、これくらいの安全率でやるべきだ」という御主張も分かりますし、「できるだけ安全なものを」というメッセージも分かります。でも、だからこそ、リスク評価を行っているのです。それをどれくらい理解してもらって、対案をだしつつ、議論しているのでしょうね。「そこまでやる意味あるの?」「それだけのお金を費やすなら、こっちからやるべきじゃない」というものが多すぎるような気がしています*1

ところで、なんでこんなに敏感な反応を日本人はするのでしょうか。これは、BSEに限らず、鳥インフルエンザしかり、古くは環境ホルモンダイオキシンもそうでしたが。やはり、この手の「見えない敵」に対して、過剰に反応するDNAが埋め込まれているような気がします。

あの、性欲の塊、フロイト先生は「私たちは正体が分かっているものに恐怖を感じ、正体が分からないものには不安を感じる」とおっしゃったそうです。「恐怖」は戦闘or逃走という選択肢のもと回避が可能な事象ですが、「不安」は安全/危険という程度論でしかなく、必然的に、どこまでも安全側に振れてしまいます。本来、科学がストッパーとしての役割を担わなければいけないのでしょうが、政治と世論という感情論の前では、まったく役立っていないようです。リスクの概念を浸透させるには、本当にそれに対応するだけの経済力が無くならない限り厳しいのではないか、と絶望感を感じます。

  • 追記(1/26)

「BSEのリスク、自動車事故より低い」…米農務次官(読売新聞)
 米国産牛の輸入再禁止問題をめぐる日米局長級会合で来日したJ・B・ペン米農務次官は24日、米大使館で記者会見し、米国産牛肉の安全性に関して、「BSE(牛海綿状脳症)のリスクは自動車事故よりはるかに低い。日本の消費者が適切な判断をすると信じている」と述べた。

ぼくと同じことを言っている人がいると思いながら、このコメントに対するはてなブログの反応を眺めてみると、やっぱりというか、感情的な反発で満ち溢れていました(思ったより少なかったけど)。「人が死ぬかもしれないようなものなのでリスクは0でなくてはいけない」ということを書かれていた方がいましたが、残念ながらこの世の中、その考えは通じないものばかりです。どうやれば、いちばん科学と感情はコミュニケーションを取れるのでしょうね。

  • 追記(1/27)

この話に造詣の深いお友達に「米牛食べてBSEになるリスクよりも、BSE問題のリスク比較をして消費者団体のおばちゃんに刺されるリスクのほうがはるかに高い」と言われちゃいました。くわばらくわばら。

*1:カナダでBSEが最初に発生したとき、アメリカがどう対応すべきかを検討したのが、うちの学科でした。そのおかげで、BSEケースは、授業で散々やらされて大変でした。日本ではどこが分析したのでしょう。でも、牛肉文化がアメリカとは比べ物にならないので、計算結果は、アメリカよりもさらに桁が小さい数字なんでしょうね。